2014年2月26日水曜日

月末

1ヶ月間はあっという間に過ぎてしまいますよね!

残業しながらいつもそんな気持ちになります。


新年に抱負として掲げた自身の目標の達成に向かって進んでいるだろうか?


いま一度思い返す時ですね…


新芽がぐんぐん伸びていくように
自分自身、スタッフ、会社と成長していかなければなりません。


ただ単に過ぎていく時間も、
一生懸命に向かっていく時間も、
感覚の差異は合っても同じ長さの時間ですから。













2014年2月23日日曜日

BURTON SCHOOL☆

今日も息子と二人でゲレンデへ。
いつもお父さんだとすぐに甘えちゃうので思い切ってBURTONスクールに入れてインストラクターに指導してもらうことに


大正解でした!!

一生懸命に説明を聞いて
自分自身でトライしている姿を遠くから見てると逞しく成長していってる嬉しさを感じました。


レッスン後には親子で復習し過ぎて
お父さんはまたカラダがバキバキです…

2014年2月18日火曜日

交通事故治療のQ&A  -その2-

交通事故に遭ってしまった方
このようなことで悩まれたことはございませんか??


受傷時は平気だと思ってたが、4~5日してから症状が出てきたけど今からでも治療できるのか?

加害者が任意保険に入っていなかった。

保険会社の担当には整形外科に行ってくれと言われてる。

病院では散々待たされたあげく5分も診てくれない…

検査では異常無しと言われ、症状は悪化してるのにシップと飲み薬だけで一向に治る気配がない。

治療は機械で首を引っぱるだけでなおっていくのだろうか?

保険会社からの電話が苦痛でどう対応すればいいかわからない。

保険会社に事故の程度が小さいからだと3ヶ月で治療打ち切りだと一方的に言われた…

治療が終了し、示談の書類が届いて見たけど内容が理解出来ない…



交通事故被害に遭われた方から今まで実際に寄せられたお悩みやご相談です。 

もし上記に該当する方は『てんま整骨鍼灸院 079-492-7518』に御相談下さい。

交通事故治療はもちろん示談交渉に伴う煩わしい問題も解決し、安心して施術を受けて頂けるように万全のサポートを尽くします。

2014年2月16日日曜日

20年越しのメダル

遂にレジェンド葛西選手が銀メダルを獲得しましたね!!
朝から涙しちゃいました…
今後もまだ頂点を掴むために頑張っていくとコメントを残した言葉の裏側には
母と妹への約束があったのですね。 


この記事を読んでください…

――ジャンプを始めたきっかけは?

(葛西)
小学3年生の時、ジャンプをやっていた友達に誘われてやってみたんです。
負けず嫌いなので、友達よりも跳んでやろうと思ったら、いきなり抜いてしまいました。
人より跳ぶ、人に勝つ快感をその時初めて知ったんです。
すぐにジャンプ少年団のコーチが家まで来て、息子さんにジャンプをやらせないかと誘ってくれました。

―――天性の才能が見出された。

(葛西)
でもジャンプという競技はすごくお金がかかるんです。
うちにはとてもそんな余裕はなくて、 親はダメだと。
泣く泣く諦めたんですが、親の目を盗んで人が跳ぶのを見に行ったり、跳ばせてもらったり、
ジャンプヘの思いは募る一方でした。

間もなく町民スキー大会があって、親に黙って出場したら一位になりましてね。
もらった金メダルを手にどうしてもやりたいと親に泣いて頼んだら、
やっと首を縦に振ってくれたんです。

必要な道具は全部先輩のお下がりを使わせてもらってやりました。
何しろうちは、米も食べられないくらい貧乏だったんですよ。

母が朝から晩まで1人で働いて姉と妹と私を育ててくれていました。
電話も引けないし、スーパーにはいつもつけ払いで借金だらけ。
そういう中でお金のかかるジャンプをやらせてくれた母には、本当に感謝しています。
<b>いつかオリンピックで金メダルを取って家を建ててあげる。</b>
母にはそう約束したんです。

それだけに、絶対に勝たなければならない。
夢中で練習しました。
だから中学、高校と、ライバルはいませんでしたね。
勝ちまくっていました。

―――ジャンプで生きていこうと
いう決意も次第に固まってきたと。

(葛西)
1つの転機になったのが、中学三年の時に札幌の大倉山で
開かれた宮様大会でした。
そこに私は、テストジャンパーとして出場することになったんです。
中学生が跳ぶことは当時としては異例のことでした。

―――初めて体験する
正規のジャンプ台はいかがでしたか?

(葛西)
ジュニア向けのジャンプ台とは比較にならないくらい大きくて、
本当に怖かったですねえ。

とにかく怪我だけはせずに家に帰りたいと考えていたんですが、
優勝した選手よりも遠くへ跳んでしまったんです。

「陰の優勝者」と新聞に書かれて随分話題になりました。
その時ですね。
遠い夢だった金メダルを、現実の目標としてハッキリ意識したのは。



―――世界トップレベルの実力は、
弛まぬ猛練習の賜物でしょうね。

(葛西) もちろんそれもあります。
しかしそれ以上に、自分を支えてくれる人たちの存在が大きかったですね。



実は、94年のリレハンメル五輪の前年に、
妹が再生不良性貧血という重病にかかりましてね。

辛い治療を何度も受けたりドナー探しで大変だったんです。
妹のためにもぜひ金を取りたいと思っていたんですが

先ほどお話ししたように団体の銀に終わってしまった。

でも、妹は病気をおして千歳空港まで迎えに来てくれましてね。
誰にも触らせずにおいたメダルを、1番に触らせてあげたんです。
元気になってくれ、という気持ちを込めましてね。

―――喜ばれたでしょうね。

(葛西)
「ありがとう。次は金だよ」って逆に励まされました。病気の妹に
比べれば、自分は何も辛いことはない。
そんな妹を支えに、98年の長野五輪へ向けて気持ちを奮い立たせました。

ところが94年の11月、ある大会で転倒して鎖骨を折り、しばらく跳べない
状態が続いたんです。翌年の5月頃ようやく完治して、私はブランクを
埋めるためにそれまで以上に猛練習に励みました。
通常なら3百本跳べば十分といわれる夏に、900本跳んで再起を賭けたんです。

―――通常の3倍の猛練習を。

(葛西)
しかし、それが逆に災いして、その冬のシーズンで今度は着地の時に足を骨折して
しまったんです。
普通に着地したんですが、その途端にコリッと。

練習のし過ぎで、腰や股関節に負担をかけ過ぎたのが原因でした。



それから1年半くらい記録と遠ざかっていたんですが、
そんな折に実家が放火に遭いましてね。

母が全身火傷で病院に担ぎ込まれたのです。

―――ああ、お母様が全身火傷に。

(葛西)
なんとか一命は取り留めたんですが、火傷は全身の70%にも及んでいて、
炎の熱で肺も気管も焼けていました。
何度も皮膚移植を繰り返したんですが結局97年の5月に亡くなりました。

後から入院中に母の書いた日記が出てきましてね。
それを開くといまでもポロポロと涙が出てくるんです。

ああ、辛かったんだろうなあって…。 

貧乏と闘いながら必死で働いて僕たちを育て、
ジャンプまでやらせてくれた母には、
いくら感謝をしてもし足りません。
金メダルを取って家を建ててあげる約束を果たせなかったのが、
本当に残念で……。


入院中の母は、もう手も握れないくらいひどい状態でした。
痛みは絶えず襲ってくるし、死の恐怖と必死に闘っていた。
そんな中で、不調な僕を気に掛けて、励ましの手紙を送ってくれたんです。

―――そこに書かれていたことは。

「いまこの時を頑張れ。  絶対におまえは世界一になれる。

お前がどん底から這い上がってくるのを楽しみに待っているよ。」と。

いまでも大事な大会の前にはこの手紙を読み返します。
見るたびにものすごく大きな力をもらえるんです。




目標が確かだからこそ今までも、そしてこれからも
飛び続けられるのでしょうね。


最高に男前で感動しました!!


2014年2月15日土曜日

交通事故治療のQ&A

保険会社から「そろそろ症状固定ですので治療終了して下さい」と言われてたのですが…
従わないといけないのでしょうか?もう治療は受けられないのですか?



治療を続けた結果、すっかり元どおりまで回復するのが一番ですが、
残念ながらどうしても症状が残ってしまう場合があります。
このようにこれ以上治療を継続しても症状の回復が見込めない状態になったことを「症状固定」といい、残存してしまった症状のことを「後遺症」と呼んでいます。


症状固定の診断を受けた後でも、なお治療を受けられるという点では変わりありませんが、
かかった治療費などの支払いを受けられるかどうかという点で違いが出てきます。

その診断を受けると治療期間が終了したものと扱われますので、賠償の範囲も確定し、それ以後の治療費や休業損害などは原則として支払いを受けることができなくなるのです。

このように、症状固定かどうかは非常に重要になりますので、保険会社の言うことに従う必要はありません。
自分の症状はご自身が一番よく解っているでしょうし、医学的に症状固定をしたかどうかはかかりつけの先生が判断しますのでよく相談してして下さい。

2014年2月11日火曜日

先日買ったNEWウエア☆

息子と二人で滑りに行って来ました~



まずはおもしろさ
次は楽しさを
そして技術を
最後にメンタルを


さて
いつ芽が出て
どこまで咲いてくれるかなぁ??


私は板を持って行かなくなり
完全にコーチです…



2014年2月10日月曜日

7・6・5・4・4

最終滑走者には申し訳ないないが
『転んでくれ!!』

テレビに向かって祈る思いでした...

日本中の人たち誰もが同じだったはず。


滑り終えて自分の点数がでてないのに
外したゴーグルから大粒の涙が流れていましたね。


メタルの色へのこだわりよりも
モーグル人生を締めくくった想いに心打たれました。


上村愛子選手の清々しさはオーロラに輝いてましたね!







2014年2月8日土曜日

最強寒波

何年ぶりでしょうか??

息子の叫び声で目を覚ますと
まるでスキー場目の前で宿泊しているかのような辺り一面の銀世界☆



















お仕事に行けるようにと息子が一生懸命にブラシで除雪してくれました♪


雪国で住んでいた経験から、

雪上運転は急加速せずにブレーキも優しく早めに。

遠回りででも車がたくさん通る幹線道路を走って下さい。
なぜなら雪が少ないから。


くれぐれも事故を起こさぬようお気をつけください!

2014年2月6日木曜日

ソチ

いよいよ競技が始まりましたね☆

長野五輪のような感動に期待したいです!




2014年2月2日日曜日

逃げる如月

月末の事務処理を奮闘し休肝日を終えたので

お茶を飲むかのごとく
グイグイ飲んじゃいました。


今日から2月


1月は行く
2月は逃げる
3月は去る

と言いますな。


陰暦では
【如月】


ラジオで勉強したんですが

寒さで着物を更に重ねて着ることから【着更着】
とされたみたいです…

地方や他の説もあるそうだが。


とにかく寒さの本番は今からということ。


乗り切れば新芽が出て心身共に和らぎますし
体調管理はくれぐれも細心の注意してください!!


タチウオ遠征

久々にリフレッシュしに昨夜からクルマを走らせ目の前が瀬戸大橋の岡山の児島へ。 午前中の近場はポツポツ拾い釣りで 全く船中が盛り上がらず... そんな状況を挽回すべく船長は 大移動! 見たことない景色を検索すると... なんとなんと 愛媛県の新居浜沖まで。 読みが正解でアタリが増し...